テーマを決めて、アイデアの磁石にする
遠江(とおのえ)です。
◆ただ旅をするだけでアイデアは出ない
前回、「アイデアは旅に出ると湧いてくる」という話をしたのですが、
ただあてどなく旅をしても何も出てこないことが多いので、それを補足する話をしたいと思います。
つまり、なにか追い求めるテーマを持っている人が、旅に出るといろんなアイデアが湧いてくる、ということなんですね。
これはなぜそうなるかというと、自分のテーマというのが、アイデアを引き寄せる磁石の働きをするからだと思います。
だから何らかのコンテンツをつくろうという人は、テーマを決めて、アイデアの磁石にすることが大事です。
私もコンテンツを生み出す仕事をしていますので、アイデアを出す努力というのは日々しています。
というか、アイデアを出す努力と一緒に暮らしている、と言ったほうがピッタリ来るぐらいです。
長年連れ添っていますので。(笑)
◆アイデア出しの格闘
たとえばいま私は特に充実したサイトをつくろうと、記事を書き貯めている時期なので(2015年10月現在)、日々、何を書くかというアイデア出しと格闘しています。
なぜ「格闘」と表現するかというと、一つ記事を書くごとに、「もう出ないんじゃないか」という不安と戦っているからです。
私はいま、朝起きたらすぐ朝風呂に入って、血行をよくし、風呂から出てくる頃に、一つ記事のテーマが決まるという生活をしています。
朝風呂でアイデアを出す、という方法はある方に教わったのですが、さっそく自分でやってみて、なるほど今のところ毎日アイデアが出て記事になっています。
ただ、寝ぼけ眼(まなこ)で風呂に浸かるときは、なーんにも頭に浮かんでいなくて、「本当に出るんだろうか」と思いながら湯に浸かり始めるというのが正直なところです。
「きょうは何も出ないかもしれない」という不安が心をよぎりながら、「あまり焦るのはよそう」と思ってぼんやり体を温めているうちに、どこかでアイデアがポンと入ってくる感じです。
また、午前中に一記事書いたあと、エネルギーを放出して何も頭に浮かばないので、最近はすぐ散歩に出て、そこで二つ目の記事のアイデア出しをやっています。
しかし、最初は考える気力さえも湧かず、ただ歩く、ということをしています。ほんとに何も思い浮かびません。
「こんなんで何か思いつくんだろうか」といつも不安がよぎるのですが、「焦ったら余計にうまくいかなくなる」と思って、ぼんやり歩き続けているうちに、どこかでなんとなくいろんなことを考え始めるのが常です。
それもすごいアイデアをひらめいた!ということのほうが少なくて、何となく一つのことが気になって、その周辺のことを考え始めることが多いです。
ほんとに記事を一つあげるたび、いつもゼロから格闘を始めているわけで、毎回それと戦う「勇気」が必要です。
不安と戦う勇気がアイデア仕事には必須だと、私はつくづく思っています。
◆とにかく一つの作品にまとめる
コンテンツを多産するためには、このかすかな思いつきを逃さずたぐり寄せて、とにかくひとつの記事にまとめてしまうという気力が肝心です。
ここで「また今度まとめよう」などと流してしまうと、せっかく貯まり始めたアイデアが無駄になることが多いのです。
なぜなら、次の日になると、前日の感興が失せてしまい、もうひとつの作品にまとめるパワーが出てこないことが多いからです。
だから、これは習慣のようなもので、ある程度アイデアが貯まって「よし」という感じが出たら、すぐ家に帰って記事をまとめてしまう、というのが私のやり方です。
もちろんいちど浮かんだアイデアを、日を置いて練り直すことはします。ただ、今日の時点で一つまとめておいてから、手直しするほうが作品は増えるのです。
結局、名を残すクリエイターはみな多産です。
寡作でたまに出すものがぜんぶ生涯の傑作になる、という人を私は寡聞にして知りません。
全集が出るぐらい多作の中から、どこかでポツポツ名作と呼ばれるものが出てくるのが普通だと思うのです。
だから、コツコツと作品にまとめていき、一日の仕事は一日で終えていくという、「一日一生」の生き方を私は心がけています。
次の日に宿題を残さないためには、今日出したアイデアは、今日中に気力を出してまとめておくべきなのです。
アイデアを出したあとは、その断片を一つの作品にまとめる「気力」が、コンテンツホルダーには必要だと思います。
◆何が当たるかはわからない
そして、何が当たるかはわかりません。
一世一代の大作だと思って世に出してみたら、意外にたいした反響でもなくて、ちょっとした座談ぐらいのつもりで出した作品が、生涯の代表作になる、こういうことがおうおうにしてあります。
たとえばリンカーンといえばあの「人民の、人民による、人民のための政府」で有名な「ゲティスバークの演説」が生涯の傑作です。
でも、実際あの演説は戦没者墓地というマイナーな場所で行われたものです。
しかも前の演説者が2時間も熱弁を振るって、みんながもう飽きた頃にリンカーンが登場し、わずか2分間でさっとスピーチにしかものにすぎないのです。
「空気を読んで話を短くしてくれてありがとうリンカーン」とみんな思ったぐらいですから。
当のリンカーン自身、演説のなかで「私がいまここで述べることを、世界はさして注意も払わないし、永く記憶することもないでしょう」と言っていたぐらいです。
ご自身も、ぜんぜん生涯の傑作スピーチをしようなどと思っていなかったのです。
ところが、そんな2分間のショートスピーチが歴史に燦然と残って語り継がれているわけですから、
ほんとうに、何が当たるかはわからないものです。
ただ、われわれにできることは、たくさんの作品群の中から、どれかが光を放ち、人々に受け入れられ、歴史に残るだろうと思いながら、一つひとつコンテンツを生み出していくことだけなのです。
ピカソだって多作、ボブティランだって多作、司馬遼太郎だって多作のなかから代表作を生んでいるわけですから。
◆テーマを決める
そして、多作であるために絶対必要なものは、数多くのアイデアを出すということ。
そこに必要なのは追い求めるテーマを決めることでしょう。
司馬遼太郎が国民的作家になった代表作、『龍馬がゆく』を書き始めるとき、最初は高知県出身の後輩から「龍馬さんについて書いてください」と頼まれ、司馬はさして気乗りしなかったのです。
ところが、数日間に渡って至るところで龍馬が目につく偶然が重なり、とうとう執筆を決意したのです。
そして、現地に行って土佐の桂浜に立つ龍馬の銅像を見上げて、「君のことを書くつもりだ」と報告してから仕事にかかったのです。
ご本人の前で自分のテーマを宣言したのち、全八巻本の長い長い旅のあいだ、司馬は無数のアイデアを出して、史実ドラマをおもしろく引っ張っていきました。
最後の龍馬暗殺のくだりの数ページは、まさに神韻渺渺(しんいんびょうびょう)たる名文を残しています。
すべては「龍馬を書く」というテーマが強力な磁石となって引き寄せてきた無数のアイデアの賜物に違いありません。
天上界から龍馬さんもいろんなインスピレーションを司馬さんにおくったのではないでしょうか。
つまり追い求めるテーマを決めること。これがアイデアを生む核となるのです。
もしテーマがなかなか決まらなかったらどうするかって?
それは「テーマを決めよう」ということをテーマにしながら散歩してください。(笑)
そうすれば、やがてテーマそのものが引き寄せられるはずですので。
これがきょうあなたに伝えたいことです。
それではまた。