なぜ、やらないのですか?

遠江(とおのえ)です。

きょうはなかなか行動ができない方のために、私の慈悲から出た言葉をお贈りしようと思います。

「慈悲」とは「悲しみを慈しむ」と書きます。

私も「なかなか行動できない悲しみ」がわかりますので、慈しみつつそこに勇気をお与えしたい気持ちでこれを書きます。

すでに行動できている方は自分のために読む必要はありません。

ただ、他の行動できていない方を励ます参考にはなると思います。

そして、わかっていてもなかなか行動できない方は、あなたのために書いていますので、ぜひそう思ってお読みください。

◆同苦同悲

冬の寒い朝、寝床から起きだすのはなかなかつらいものです。

もう起きるべき時間になっているのはわかっているのですが、布団から出ると冷たい空気に全身をさらされて、身が縮む思いになります。

それと同じで、なにか新しいことを始めるときも、親しみの薄いことに遭遇するのがとてもおっくうになります。

わからないことやできないことが出てくるたびに、ストレスを感じなくてはなりません。

やったほうがいいとはわかっていても、なかなかその第一歩が踏み出せないのです。

その苦しみは私にも経験がたくさんあります。

そして、なかなか布団から出れない自分が少し悲しく思えるのです。

そういうときによく、昔同じようにできなかったときの自分を思い出します。

宿題をやらなければならないのはわかっているのに、つい漫画の本を読んでしまった自分。

クラブの練習に行かねばならないのはわかっているのに、ついサボって友達の家に遊びに行った自分。

太るから食べるべきではないのを知りつつ、ポテトチップを一袋ぜんぶ食べてしまった自分。

そういう「できなかった自分」がよみがえってきて、悲しい気分になるのです。

私もそういう経験をいっぱいしてきました。

それは、大事件があって大打撃を受けるような悲しみではありません。

むしろちょっとしたプチ悲しみではあります。

でも、それを繰り返し繰り返し味わっているうちに、いつしかアル中患者のように、だんだん淀みの淵に呑み込まれてしまうのです。

そこで、思い切って布団から出る前に、なぜやれないのか、その原因を探ってみましょう。

悩みから脱出するためには、まず原因を特定すればいいのです。

◆やらない原因

私にはその原因がわかる気がします。

それはほんとうに追い込まれていないから、延ばし延ばしにしているのです。

まだお尻に火がついていないから、もうちょっともうちょっとと先延ばしにしているだけなのです。

ただ、もう少しよく見てみると、「本当に追い込まれたときにはもう遅い」ということを理解していないから、まだのんびりしているとも言えるのです。

お尻に火がついてから始めたときには、もう勝負はついていることを知らないのです。

たとえば、東日本大震災で津波に襲われたとき、家の土間に海水がしみこんできたときはじめて逃げた人は、みんな溺れ死んでいます。

あんまり警報がうるさいから、やっとのことで家を出たとき、すでに向こうから津波の第一波が押し寄せてきたときにはすでに遅いのです。

助かった人はみな、津波警報が出たときすぐに家を飛び出したか、その前の大揺れの直後に小高いところへ避難しています。

安全を確保できるのは、少し前に始めた人だけなのです。

「危機が眼前に迫ったときにはもう遅い」という知識を持っていなかったことが、命を落とした真の原因です。

知らないことほど怖いことはありません。

正しい意味での危機感がなかったこと。

それがあなたがぬるま湯から出れない真の原因です。

◆いい意味での危機感を持つ

いい意味での危機感が足りなくて、悲惨な目に遭う人が跡を絶ちません。

そういう人ほど、いざ身の危険が迫ったときには絶望的な恐怖に立ちすくむものなのです。

他のことなど一切考えられず、ただ我が身のことしか考えられなくなるのです。

でも逆に考えてみてください。

その我が身かわいさを善用するなら、そんな目に遭わずに済むように、今のうちから準備しておこうとするべきです。

そんなひどい目に遭うぐらいなら、大揺れしたらすぐ避難したり、警報が鳴ったら家を飛び出したり、布団から飛び起きたりできるはずなのです。

「危険というのは、はっきり肉眼で確認できるときにはもう遅い」という知識をまず持ちましょう。

◆お金の問題

さて、人生における津波とは、いったい何でしょう?

あえて2点に絞りますと、「お金に困ること」と「大病の発覚」がそれに当たると思います。

「金欠」も「大病」も生存の危機に直結するからです。

特にお金はほんとうに困ると、「貧すれば貪する」と言われるように、人格まで落としかねません。

最後、誰にも愛されず、誰も愛せない惨めな人間に堕ちてしまう危険があるのです。

だから、そこまでいかないうちに対策を講じておくことを強くお勧めします。

とりわけ熟年以降になると、雇用先もなくなり、あってもたいした収入にならず、みじめな扱われ方に耐えねばなりません。

だから「智慧を富に変える道」をつくっておくことをお薦めするのです。

智慧を富に変えるスキルを持てば、自宅で自分のペースでお金を稼ぐことが可能になります。

パートで稼げるぐらいのお金ぐらい、すぐに上回る収入を上げることが可能です。

さらに「智慧を富に変える道」は、本格的に回り始めると、普通のサラリーマンよりはるかに大きな富を稼ぐことも可能なのです。

六十歳を超えてから始めて、月収百万円を超えている人も男女にかかわらずたくさんいらっしゃるということを知ってください。

なぜなら「智慧」は加齢が有利に働く数少ない領域だからです。

「智慧」は人生経験が有利に働きうる武器なのです。

ですから体力の衰えを智慧でカバーすることが十分に可能なのです。

◆早目のスタートが鍵

しかし、「智慧を富に変える道」には、一定の積み重ねが要りますから、早目のスタートが鍵になるのです。

金欠の津波が視界に入ってからでは遅すぎます。

智慧を書き貯めて、一定の磁場をつくり、そこに富を引き寄せてくるわけですから、努力の蓄積が大きくモノを言うのです。

だから、「やらなきゃいけないんですけどねぇ」とか、「すみません、なかなか手がつかなくて」などと悠長に構えるのはやめて、すぐに始めることを強くお薦めします。

やるための方法は、このサイトにもたくさん書いてありますし、無料メールセミナーでは段階的にお教えしています。

いますぐに始めてください。

もちろん、「どうしてもできない」という方に無理にとは申しません。

人には自由意志が保証されています。

そういう場合には、最後の手段として「諦める」という手がありますから、ご安心ください。

最低生活と、プライドを捨てることを受け入れれば、そこにもわずかな幸福はあります。

ただそのときはいつまでも後悔せず、「自分で選んだ道だから、責任は取る」と毅然としていてください。

でも「それはいやだ」という人は、がんばっていますぐに始めましょう。

「なぜ、やらないのですか?」という私の問いかけには、そこまでの思いがこもっているのです。

何から始めていいのかわからない方は、
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