小林一三の壮大な仕組み経営
遠江秀年(とおのえひでとし)です。
私は日本のなかで最も壮大な仕組み経営を実現した人として、小林一三を敬愛しております。
それは、私自身が翁のつくった阪急電鉄沿線で産湯を浸かり、宝塚歌劇団や阪急デパートの文化的空気を吸って成長したことにも関係しています。
しかも、経営を成功させる上で欠くことのできない仕組み構築を、大きなスケールでやってのけたことに限りないロマンを感じるのです。
この方は前回取り上げた、黒澤明監督を擁護して、不朽の名作『七人の侍』を創らせた器の大きさもさることながら、自身が夢をかたちにした実現者としても人々に記憶されるべき人なのです。
では、起業家として小林一三に学ぶべきは何なのでしょうか。
◆何もないところにビジョンを描く構想力
小林一三は明治後期、自由人としての気概がありすぎて、大組織である三井銀行の宮仕えになじめず、独立してオンボロ電鉄の復興を手がけます。
商都大阪から北に向かって何もない貧農地帯を歩きつつ、ここに電鉄を通し、一体を郊外住宅地に変えようと構想したのがまず素晴らしい。
いつの世も現地をリサーチする人のなかから偉大な発想者が生まれ、歩きながら思索する人から抜きん出た哲学者が生まれるようです。
私はこの、何物も持たず徒手空拳で田園地帯を歩くなかに、未来のビジョンをはっきりと観た、翁の事業スタートの逸話に深い共感を覚えます。
誰だって最初は夢しかない青年なのです。
しかし、その夢を幾多の困難乗り越えてやってのけるところに、英雄の原型を見るのです。
たいした耕作も生まないひなびた農村を逍遥しながら、彼らなら土地買収に乗ってくると見抜いた、勝負師としての慧眼に心惹かれます。
そして、田舎に電鉄を引いても儲からない、という周囲の揶揄をよそに、終点地にテーマパークをつくればいいではないか、途中を勤め人のベッドタウンに変えればいいではないか、始点地にターミナルデパートをつくって移動の流れをつくればいいではないかと限界突破していく逞しさに見習うのです。
さらにはテーマパークの目玉として、娘だけの洋風歌舞伎までつくってやろうというクリエイティビティに、秋元康の曽祖父のような姿を見ます。
こんなオールマイティな創造的経営者を日本が有していたことに、目を見張る思いがするのです。
◆詩人と経営者の異質結合
小林一三という人は、単なる金儲け主義の商売人では決してありません。
自身が詩や小説を書く文学者であり、その芸術的素養は卓越したコピーライターとして、ニーズなきところにニーズを創造していく独創性があるのです。
誰も不便な貧農の地に住もうと思う人がいない時代に、『最も有望なる電車』というタイトルで「いかなる土地を選ぶべきか。いかなる家屋に住むべきか」という言葉に始まるコピーライティングによって、新しい需要を掘り起こしました。
さらに、阪神電車に先を越されていた梅田・三宮間の自社列車を、こんな卓越したコピーで人気列車に生まれ変わらせたのです。
「新しく開通した神戸(大阪)ゆき急行電車、
綺麗で早うて、ガラアキで、
眺めの素敵によい涼しい列車」
短い三行のヘッドコピーのなかに、巧まざるユーモアと、五つのベネフィット(きれい、早い、空いていて座れる、眺望よし、涼しい)を入れ切った手腕は、まさしく日本のコピーライティング創始者の面目躍如たるものがあります。
加えて、阪急電車の唱歌を作詞して、沿線の小学生に歌わせたり、宝塚歌劇の出し物の脚本まで手がけたりと、詩人と経営者の異質結合によって無尽蔵に生み出すコンテンツの素晴らしさは、ウォルト・ディズニーを彷彿とさせるものがあります。
◆人を育てて大きくする教育力
また、この人は前出の黒澤明への親心もさることながら、沿線の無数の顧客をも育てて大きくする徳がありました。
私が好きなエピソードは、阪急デパートが開業したころ、集客の目玉としてカレーライスをメインメニューにした大食堂を大繁盛させたことに関連します。
しかし、まだ貧しい顧客が多く、カレーを買えない者たちが、ライスにソースをぶっかけて食べ始めたのを、従業員が見咎めたときのことです。
「ええやないか、食わしたり。彼らが収入を得るようになったらうちのお得意さんになるだろうから」
と言ってソースぶっかけごはんに「ソーライス」と自ら名付けて、「ソーライス大歓迎」とやったのです。
こういう恩を人情に篤い浪速の人間たちは忘れません。
阪急デパートは単なる商業施設であることを超え、関西の故郷を象徴する文化的シンボルになったのです。
このようにまだ力なきときの人々を育て、大きくし、そして繁栄に導くところは、一種の神様的徳目を感じさせるものがあります。
だから阪急沿線に育った私は「小林一三」と聞くと、どこか深いところから胸がジーンとするのです。
◆すみれの花咲くころ
そのようなロマンチシズムあふれる翁の人間性を象徴するものとして、宝塚歌劇団のテーマ曲たる「すみれの花咲くころ」があります。
「すみれの花 咲くころ
はじめて君を 知りぬ
君を想い 日ごと夜ごと
悩みしあの日のころ
すみれの花 咲くころ
いまも心 震う
忘れな君 われらの恋
すみれの花 咲くころ」 作詞:白井鐵造
私はこの歌を口ずさむとき、胸がいっぱいになって涙があふれます。
それは単なる感傷を超えて、小林一三という創造する経営者の美しい心にふれるからです。
そして壮大な仕組み経営は、芸術性を異質結合すればそこまで素晴らしい世界を生み出すことに賛辞を惜しまないのです。
一三先生、素晴らしい遺産をほんとうにありがとうございます。
了