清水富美加さんの一件についての私の意見

遠江です。

女優・清水富美加さんのプロダクション脱退と出家に関して、連日報道がなされています。

この一件について、かねてよりコト消費トレンドのリサーチを兼ねて、

それなりに芸能界を見てきた私の見解を、お話しいたしましょう。

まず思うのは、日本の芸能界は、タレントは芸能事務所の籠の鳥だということ。

つまり、芸能人たちは概(おおむ)ね、プロダクションに生殺与奪の権利を握られていて、

個性や才能が自由に発揮できていないことを随所に感じます。

この旧い体質こそが、何よりの問題でしょう。

◆私の観劇体験

たとえば私は昨年来、一定数の日本映画やテレビドラマに加え、

劇団四季、彩吹真央、井上芳雄、長澤まさみらがぞれぞれ主演するミュージカルをじかに観てきましたが、

みなさん健闘されているなぁと思うと同時に、

その全てにおいて、何かもう一つもの足りないものを感じてきました。

これは、今回の件があるから言っているのではなく、

上記作品を観るたび、それを音声教材で取り上げた中にも語ってきたことです。

その「もの足りなさ」とは何であるか?

単なる欧米礼賛をするつもりは全くないのですが、

ハリウッド全盛期のスターたちの輝きに比べ、

現代日本のそれは、明らかに何かフィルターがかかっている感じがします。

野球にたとえれば、手がかじかんで、ボールを置きにいっているというか、

仲間内のタブーがいっぱいあって、その地雷を踏まないように自主規制しながら演じている感がぬぐえません。

私も音楽をやり、ライブセミナーをやっている者として、

そのあたりの感性は、そこそこ敏感なのです。

やはり人間は、自分の信ずることを、自己責任において、率直に発言できる自由がないと、

芸にもその拘束感が出るのではないでしょうか。

籠の鳥がいくら自由人を演じても、それは限界があるでしょう。

 

◆レプロ的体質とは

その意味で、清水富美加さんと、彼女が助けを求めて駆け込んだ幸福の科学は、

いま日本芸能界の前時代体質に、革命を起こそうとしているように見えますし、

私もそれを応援しています。

ここでいう「前時代的体質」とは、たとえば、

タレントは若いうちは月給5万円でこき使い、

稼げるようになっても、売上の9割は事務所が取り、

「その仕事は勘弁してほしい」とタレントが訴えたら、逆に仕事を干し上げ、

事務所を辞めたいと言ってきたら、2年間は辞められないよう拘束し、

その間、また徹底的に干し上げて芸能界に居れなくするような、

レプロ的恐怖支配のことを指します。

「レプロ」とは、清水富美加さんや能年玲奈さんが所属していた、問題になっているプロダクションの名前です。

もちろんすべての芸能事務所がそうだとは言いませんが、

あのSMAPでさえ、事務所独立の際に、

あそこまで犠牲を払わされたことを思えば、

けっこうそういうところが多いのではと思わざるをえません。

◆清水富美加さんへのエール

それにつけても、自ら自由を勝ち取ることは、

何にせよ、大事だとつくづく思います。

自由には当然責任が伴いまずが、

その代償を払ったとしても、

自由に考え、自由に発言し、自由に行動できることが、

どれほど人間の幸福にとって大事かと思いますね。

そして、そのかけがえのない自由を、

不当に縛ろうとするものに対しては、

たとえドン・キホーテに見えようとも、

敢然と戦うことが大切だと思います。

強大なものに脅されたからといって、

すくんでしまって自ら両手を差し出せば、

やはり縛られてしまうのが世の常だし、

その弱さの責任は、自分で取るしかありません。

だから、

清水富美加がんばれ!

後に続く者もきっと出てくる。

そう私はエールを送っています。

◆自由の女神

ちなみにアメリカでは、

「自分の自由を守ること」=「仲間の自由を守ること」=「自分たちの仕事を守ること」

という意識が強いため、

俳優であれば、「スクリーン・アクターズ・ギルト(映画俳優組合)」というものが1933年に創設され、

12万人もの男優・女優が所属して、しっかりそこが護っているので、

日本のような前時代的・プロダクションの横暴というものはありえません。

だから彼らは伸び伸びとやれるのか!?

と目を見張る思いがします。

さきほども申したように、

欧米のものはなんでも素晴らしいと言うつもりは毛頭ありませんが、

自由の女神の精神が、しっかり息づいているアメリカの芸能界は、

やはり日本よりはるかに成熟していると言うべきでしょう。

世界に通用する芸術作品をつくるには、

自由と責任の土台からつくるべきである。

そのためには、必要に応じて正義の戦いも辞さない。

そして新しい体制を創ることに一石を投じるべきである。

そう思って本稿を記しました。

ありがとうございます。

 

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