同じことを違う角度から言うことの大事
遠江(とおのえ)です。
何らかの情報を発信するクリエイターにとって、同じことばかり言って飽きられるというのが、ひとつの鬼門です。
いつも言ってることは一緒、というのはバリエーションが出せなくなった現れなので、いちどは集まってきたファンが、つまらなくなって離れるのです。
これが甚だしい場合は一発屋といわれますし、そうでなくても後から見たら一作目、二作目ぐらいがピークで、あとは長期低落傾向という人も多いのが現実です。
それもこれも、コンテンツの井戸が枯れてきて、斬新なものが出せないというのが最大の原因です。
しかし一方で、いつも違ったことを言ってとっ散らかった感じに見える人も、生き残れないくちです。
そもそも一貫性がなければ信頼感が出ませんので、いつ豹変するかわからない不安定な者には、ついていく人がいなくなるのです。
大阪ではそういう人のことを”いっちょうかみ”と言いますが、何にでも便乗して噛もうとする人は、薄っぺらい感じがするしよく裏切ります。
まぁまれに”いっちょうかみ”でも愛嬌があって憎めない人がいますが、クリエイターとして長く生き残るのは難しいと思います。
ということで、同じことを言ってもいけないし、違うことを言ってもいけなそうで、どうすればいいの?と言いたくなりますよね。
それを解決する智慧が、「同じことを違う角度から言うことの大事」だと思うのです。
◆2つのたとえ
一流のクリエイターには必ずその人独自の大きな主題というのがあって、それが明確なほどキャラが立つし、永く追求するほどプレステージが出てきます。
そして大きな主題というのは平面的に見れば一つのものですが、立体的に見れば、色んな角度から色んな面を見せるものです。
たとえば「富士山」を主題にした写真家というのがいますが、四季折々の富士、早朝の富士、夕焼けの富士、駿河湾から見た富士、山梨から見た富士、身延山から見た富士、箱根から見た富士、などなどというように、一生をかけてあらゆる表情の富士山を撮り続けて、見るものを飽きさせません。
同じ富士山でも、アングルによってまったく違う表情を切り取れるわけですね。
こういうクリエイターは十分生き残れると思うのです。
ただ、どの角度から見てもよく似た富士山を撮ってしまうとやっぱり飽きられるので、撮り方の創意工夫のセンスは問われますが。
それと同じで、コピーライティングでも同じことを色んな角度から新鮮に言える人は説得力が高いのです。
一つの結論に導くにも、いろんな切り口から述べてくるので、どこかで弾が当たり人が動くんですね。
それは、どこで当たるのかは人によって違うので、さまざまな論点を立てながら相手を動かす必要があることを悟っているからです。
あまり売れ行きのよくないコピーライターは、そのバリエーションが足りないことがほとんどです。
一回目、二回目ぐらいはよく効くんだけれど、あまりに同じことを同じ角度から言い過ぎるので厭になってきたり、あるいは一、二回で言うのをやめてしまうからもうちょっとのところで買わなかったりします。
それはいかに同じことでも多彩な色合いを出せるかがまだわかっていない証拠なのです。
同系色でもグラデーションになっている東山魁夷の絵は、ひじょうに深みがあって何度見ても見飽きないし、真にお洒落な人もよく統一色のグラデーションで着こなしてきますよね。
◆単語のバリエーション
もう少し小さなコピーライティング・テクニックの話になりますが、「同じことを違う単語で表現する」ことも大事なのです。
それは違う言葉で言い換えるから、細かいニュアンスが次第に伝わって「わかった!」となることが多いからです。
やはり一つ言われただけではぼんやりとしかつかめないのですが、二つ三つと違う言い方をしてくれると、細かな感触がしっかり把握できるんですよね。
たとえばここまでの論考においても、私は「違う角度から言う」という言葉を、「いろんな切り口から言う」と言ってみたり「さまざまなバリエーションを用意する」と言ってみたり、「同系色のグラデーション」という表現を使ったりしています。
一発ですべてのニュアンスをつかむ人は少なくて、いろいろ言っているうちにだんだん認識していくことがほとんどなのです。
しかし、繰り返しますが同じ言い方ばかりしていると「くどいな」という不快感を与えてしまうのです。
だから単語の工夫は怠ってはなりません。
◆たとえのバリエーション
同様に「同じことを違うたとえで表現する」こともコピーライティングにおいてはたいへん有効です。
上手なたとえを入れるとだいたい読者の評判が上がるのが私の経験です。
それぐらい「たとえ」にはおもしろさがあるし、すでに「たとえ」で表現していること自体、同じことを違う表現で伝えていることになるからです。
たとえば先ほど私は、「同じものも表現の工夫で魅力的に見える」ということを、「富士山」と「東山魁夷」という「山」と「画家」というまったく違ったものでたとえました。
どちらもよく知っているものであれば、そのものの鮮明なイメージと、言いたいことの抽象的な意味が結合して、強い印象で記憶に残るのです。
「ああ、あれは富士山の話だったな」とか「東山魁夷が出てきた話だ」という具合に思い出すことができます。
そして、コピーライティングにおいては記憶に残る文章が書ければ、人に読ませ、信じてもらい、動いてもらうことが容易になるのです。
◆結論
コピーライティングとは、誤解を恐れずに言い切れば、売れるための文章です。
売れないものはコピーでも映画俳優でも価値はないのです。
そのために必要なのは、同じ主題を違う角度から言える智慧なのです。
その智慧を常に駆使しておれば、お客様に飽きられることもなく、とっ散らかった印象を持たれることもなく、永く一線で活躍することができるのではないでしょうか。
それではまた。