聞き取りやすい話し方の極致
遠江(とおのえ)です。
セミナーは話を聴いてもらうのが主体の場ですので、聞き取りやすい話し方をすることはひじょうに大事です。
ちなみに私はかなりのその道の大家の方と比べても「あなたのほうが聞き取りやすかった」という評価を多数受けておりますので、
多少はその秘訣を話す資格があると思います。
まず最初に結論から言うと、「自分の声の反響を聞きながら話す」ということになります。
これはすでに大川隆法という方がおっしゃっていることですが、私にもその感じはよくわかりますし、
私なりの体験から得た智慧も加味できるかと思っております。
◆物理的側面
まず「自分の声の反響を聞く」ということには、物理的な側面があると思います。
すなわち文字通り、自分の声が会場の壁に反射して返ってくるエコーを聞く、ということです。
このエコーを聞きながら、それとぶつからないように次の声を出す、というのが、
聞き取りやすい話し方には必須となります。
自分のエコーと自分の声が正面衝突をすると、ひじょうに聞き取りにくいことになるのです。
これはやってみないとなかなかわからないと思いますが、確かにあることなのです。
そして、多くの話者はそのことに気付かず話すので、聞き取りにくい反響になっているわけです。
つまり、「自分の声の反響を聞きながら話す」ことができるためには、落ち着いて心に余裕がないといけないのです。
緊張すると何も耳に入らなくなってくることがありますが、逆に、大勢の聴衆を前にしても、かすかな自分の声のエコーを聞ける技が必要になるということです。
◆心理的側面
さらにこの「自分の声の反響を聞く」ということのなかには、心理的な側面もあります。
それは、自分の発した言葉を聴衆が受け入れたのを見届けながら、次の言葉を発声するということです。
人間は、ある言葉を聞いて、それを心の中に受け入れるまで、微妙なタイムラグがあると思えるのです。
測ったことはありませんし、実験したこともありませんが、言葉を聞いて受け入れるまでに一秒の何分の一かのわずかなタイムラグがあり、
それを無視して次の言葉を発すると、受け入れていない上から次々言葉を押し込まれるかたちになって、聞き取りづらくなるのです。
これは「上手な間を取る」と言ってもいいのですが、ただ私には「自分の声が確かに受け入れられた聴衆の反響を聞きながら(見ながら)話す」という表現のほうがしっくりきます。
ほんの一瞬のリズムなのですが、ちゃんと受け入れられたのを感じつつ、話していくという感覚なのです。
たとえば、同じくらいの大きさで同じくらいの発音でも、話す人によって、心に入ってくる具合が違うことってありますよね。
この違いが「間」というか「リズム」の違いだと思うのです。
ただ、よく自分の話がよく受け入れられているか、確認するようにぐっと威圧的に見る人もいますが、それとはまったく違います。
「わかってるよな」という念押しをしながら話すのではなくて、ほんと一瞬のリズムの矯めなのですが、
私にとっては「自分の声の反響を見ながら話す」という表現がピッタリくるのです。
◆天使の協力
ひとつ例を挙げましょう。
以前、あるセミナーの終盤、ひじょうに感動的な磁場になり、聴衆も涙、私も声が詰まりかけたことがありました。
そのセミナーには何度もリピートして来てくれる一群の人たちが、前列に5〜6名座っていました。
そして、短い瞑想の時間をはさんで、最後の大団円になるという、その瞑想のときです。
演台の横の椅子に座って、私も聴衆と同じく瞑想していたとき、
不思議なことに、その前列のリピート組の人たちが、聴衆を先導するように手を繋いで、
セミナーの磁場を高める協力をしてくれている姿が目に浮かんできたのです。
その中でも特にお一人の熱心な方、金子さんというのですが、その方が少し前かがみになりながら、
みんなとしっかり手を繋いで、磁場づくりに協力してくれているのがビジョンとしてはっきり見えたのです。
まるで天使たちが私にこぞって協力してくれているような気がしました。
ふいに熱いものが胸からこみ上げてきて、その瞑想を終えたあとも、その強い余韻のなか、
セミナーの大団円を盛り上げることができたのです。
あとで金子さんのところに行って、「そんなビジョンを観ました」と伝えると、
彼も「そんな気持ちでおりました」と言ったのです。
目に見えない世界で、自分の話の反響が起きていて、それがみんなで協力してもらえる状態になるとき、
最も声は心に通る、ということでしょうか。
ちなみに彼はもう亡くなりましたが、天使のようなお人柄でした。
◆オーケストラと対話
もう一つ、別の角度からお話します。
私はエンターテイメントも大好きで、若い頃はミュージシャンになりたいと思い、作詞・作曲・編曲・歌・演奏を仲間としておりました。
最近も、若い20代の人達とバンドを組んで演奏をしたり、セミナーの最後にサービスで歌を歌ったりしています。
その私のヴォーカルとしての体験で、「バックバンドと対話しながら歌う」という境地を得たことがあります。
「バンドの演奏を聴きながら歌う」というだけのことですが、これが深まると対話が始まります。
誰かの、たとえばドラムスのちょっとしたウィットを感じて、自分の歌のインタープレイが変化するのです。
さらに、まぁこれはカラオケですが、ホーンやストリングスも入ったビッグ・バンドをバックに大会場で歌うとき、
決まった演奏のカラオケなのに、「オーケストラと対話しながら歌う」と会場全体を巻き込んだ雰囲気をつくれるのです。
オーケストラと協力しながら歌っているうちに、聴衆も協力してくれて、会場全体が歌うようになるわけです。
そうすると終わったあとは拍手と歓声とアンコールの嵐となります。
これは「自分の声の反響と対話しながら歌う」といってもいいことだと思います。
◆まとめ
つまり、声という物理的な振動にしかすぎないことでも、
その反響は有形無形のさまざまなものにエコーしていき、
そのエコーを楽しみながら共演すると、素晴らしい磁場がつくれる。
そのとき、自分の声は最もよく人の心に届く、といえるのだと思います。
ですから単に声がいいとか大きいとか、発音がきれいとかいうことを超えて、
もっと神秘的な作用が働いているのを体験的に感じるのです。
話が大きくなりましたが、これが「聞き取りやすい話し方の極致」として
私が伝えたいことになります。
ありがとうございました。