ブリジット・バルドーがマリリン・モンローを祝福す

遠江秀年(とおのえひでとし)です。

前回は「感謝の仕方、人の褒め方」という実用性の観点から自説を述べたのですが、
きょうは、「感謝や植福と富の結びつき」という原理性の探求をしてみたいと思います。

◆感謝と富

まず、「感謝と富のむすびつき」について。

感謝とは「与えられたものの発見から起きるもの」です。

その与えられたものを、より精緻に認識するほど深まるのが感謝の本質だ、
というのが私の考えです。

そして、「与えられたものを認識する程度に応じて、人はその恩恵を受け取れる」
といえるのだと思います。

だから、
「感謝が深まるほどに、人はより大きな恩恵を受け取って富む」
と思うのです。

◆一例の考察

たとえば、一日の時間に感謝した人がいるとしましょう。

与えられたものを、より精緻に認識するほど深まるのが感謝の本質ですから、
誰もが当たり前に使っている「時間」に対して、その人は、
「またきょうも新しい時間が与えられた。これは当たり前ではない。ほんとうにありがたい」
とより精緻に認識したので、感謝が深まりました。

するとその人は、「このありがたい一日の時間を有意義に使いたい」と思って、
他の人より充実した一日を過ごす努力を始めるはずです。

これが、「与えられたものを認識する程度に応じて、人はその恩恵を受け取る」
ということです。

そういう人はきっとその一日を使って、より付加価値の高いものを生み出すでしょうから、
与えた価値にふさわしい富を受け取れることでしょう。

だから、「時間に深い感謝をして生きる人ほど、その恩恵を受け取って富む」わけです。

また、それを与えた側から見ても、深い感謝をした人をより応援したくなるでしょうから、
結局、そこからも新たな恩恵を受けて「感謝する人」は富むはずです。

もし時間を人間に与えた神様がいれば、それに深い感謝をする人間を神様は愛し、
成功させようと道を開かれるのではないでしょうか。

私はそう信じています。

◆祝福と富

同様に、「祝福と富の結びつき」について考えてみます。

祝福とは「素晴らしさの発見から起きるもの」です。

その素晴らしさをより精緻に認識するほど強まるのが祝福の本質だ、
と私は考えます。

そして、「相手の素晴らしさを認識する程度に応じて、人はその美質を自分も受け取れる」
といえるのだと思います。

つまり、その素晴らしさを無意識に真似び始めるということですね。

だから、「祝福が強まるほどに、人はより大きな恩恵を受け取って富む」
のだと思うのです。

◆ケーススタディ

これはエンターテイメントに世界に起きた「祝福が富に結びついた」事例です。

昔、アメリカにマリリン・モンロー、フランスにブリジット・バルドーという、
どちらも当代一といわれた人気女優がおりました。

マリリン・モンローのほうが、ブリジット・バルドーより多少歳上だったようです。

どちらも社会的現象が起きるほど男性に人気のある女優でした。

この二人がある楽屋で一緒になりました。美女同士の対決と誰もが思う場面です。

しかし、バルドーのほうがモンローの美しさを強く祝福し、モンローもバルドーに感謝したので、
二人はそれまでに増して輝くようになったのです。

このときのことを後年、バルドーが自伝に書いているので、それを紹介しましょう。

「私はそこで彼女を見た。彼女しか見なかった。そう、マリリン・モンローを……。
(中略)
私はうっとりして、彼女を眺め、賛嘆していた。
自分の髪型のことなど忘れていた。
彼女になりたいと思った。」

私はこのバルドーの祝福を美しいと思います。

もしこのときバルドーがモンローを嫉妬していたら、その美しさは必ずなんらか陰ったことでしょう。

しかし彼女は自分の前で輝いている世紀の美を、嫉妬することなく、ただ祝福し賛美した。

そうすることによって相手も輝き、自分も輝くという富を得たのです。

事実、この二人はこのあと時代を象徴する成功を収め、結果として大きな富を得ています。

◆まとめ

このように「感謝と祝福は富に結びつく」ことが明らかです。

そして、感謝も祝福も、できるだけ具体的に豊かに表現することで、その力を増すのです。

私は感謝と祝福が豊かに表現される世界を創りたいと願っています。

なぜならそういう世界こそ、愛と智慧と富に溢れたユートピアであると思うからです。

あなたもそう思われませんか。

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