頭で考えた文章と心から出てくる文章の違い

遠江秀年(とおのえひでとし)です。

ネットビジネスでは文章の力、すなわちコピーライティングによって読者の反応を取ることが必要です。

なので、この業界にいる人は、たくさんの文章を読み、書くことになりますが、
文章には大きく分けて二種類あると思うのです。

それが、頭で考えた文章と、心から出てくる文章です。

この2つはつくられ方も違えば、反応の取れ方も違うし、書き手の人物評価も違ってくるのです。

どこがどう違うのかをお話していきましょう。

◆つくられ方の違い

「頭で考えた文章」とは、机上でひねり出した文章のことであり、考え考え書いているので、書き始めにそれほど大きなエネルギーは貯まっていません。

料理にたとえたら、冷蔵庫のありあわせの材料を使って、さっとチャーハンにして炒めたような文章です。

テクニックがあればそれなりに食べられる料理にはなるでしょうが、薄味は薄味なので、なかなかファンが付くまでには至らないでしょう。

対する「心から出てくる文章」とは、どうしても書きたい気持ちが先にあって書かれたものであり、書き始めの段階でかなり大きなエネルギーが貯まっています。

材料が十分に仕込まれて、出汁も十分にとった上で、満を持してつくられた文章です。

これがおいしいと感じたお客さんは、ここにしかない濃い味なので、かなりの率でリピートするファンになるはずです。

どちらがいいかは明らかですよね。

ただ、「十分に仕込まれた」といってもすごい長時間かけて準備された文章のことを指しているわけではなく、ちょっとした心がけで、前者を後者に変えていくことができると私は考えています。

ちなみに私が具体的にやっていることを2つ挙げてみます。

◆朝風呂

私は朝目覚めたらすぐに朝風呂に入ります。

寝ぼけた全身を湯の刺激によって覚醒させるためですが、湯船のなかで徐々に考えがまとまり、出てきたときにはたいてい文章のテーマが一つ決まっています。

書こうと思えば書けるテーマというのではなく、そのとき書きたいテーマが一つ決まるのです。

たいてい、それまでまったく書こうと思っていなかったテーマが出てくるので、何らかのインスピレーションを受けているのだと思います。

「ええっ、これを書くんですか!?」というような、チャレンジブルなテーマを思いつくことが多いのです。

もちろん、実際は自分でひらめいたことですから、自由にやっているだけなのですが、意外性のあるテーマが見つかりやすいのです。

で、後から考えれば、その時期に新しい世界を拓くために必要なテーマだったな、としみじみ思うことが多いのです。

頭で考えただけでは絶対出てこないテーマなのです。

◆逍遥(散歩しながら考えること)

私は朝、一記事書いたら、次のテーマを探すために逍遥に出ます。

のんびり散歩しながら、さっき一テーマ書くために放出したエネルギーを充電し、どこかで新たなテーマの着想を得るためです。

どこでそれが起きるかは事前にはわからないのですが、体験的に八千歩から一万歩歩いて帰ってくる間に、だいたいテーマは決まって書ける状態になります。

行きの四〜五千歩で着想を得て、帰りの道すがら内容の柱をまとめてくる、という感じになります。

先程も言ったように、書こうと思えば書けるテーマではなく、これは絶対チャレンジしてみたいというテーマが決まり、しかも「これなら書けるな」という見通しも得て帰ってこれるのです。

家にいて机の前で考えているだけでは、なかなかこうはいきません。

だから、一時間半ぐらいの時間投資をして逍遥に出て、そこでインスピレーションを受けてくることが重要なのです。

朝風呂の場合と同じく、歩き始めには思ってもいなかったテーマが降ってくることが多いので、何らかの他力性を感じざるをえません。

やはり「自分で生きている」という人より、「なにか大きな力によって生かされている」という人のほうが、深みのある人格を感じるのは私だけでしょうか。

◆上の二者の違い

「頭で考えた文章」と「心から出てくる文章」の違いはいくつもあります。

まずは、インスピレーションの含有率が違うので、思想の深みとか、言葉に含まれる霊的バイブレーションが違うように思うのです。

たとえばキング牧師の演説は、「I have a dream」で始まる有名なものなど、私にはきわめて霊的バイブレーションが強いと感じ、深く心に残ります。

1960年代の演説が、50年以上経っていまだに世界中に影響を与えていますので、「心から出てくる言葉」の強さを思い知らされます。

優れた伝道師というのは、キング牧師にせよビリー・グラハムにせよ、みんな言霊(ことだま)づかいだと思えるのです。

二点目には、この2つの文章は、読者に巻き起こす反応がまったく違います。

「頭で考えた文章」のほうは、情報の利便さのみに引かれて集まってくる人をつくります。

だから、情報を取ったらすぐにいなくなります。

しかし「心から出た文章」のほうは、繰り返しリピートするファンをつくります。

その文章を書いている人間を好きになってくれるわけです。

もちろんそういう関係をつくったほうが、結果的に大きな富を引き寄せます。

三点目は、やはりこの2つの文章は、時間の淘汰を経たサバイバル力が違います。

端的に言えば「すぐ消える文章」と「歴史に残る文章」に分かれるということです。

そこまでいかなくても「すぐ忘れてしまう文章」と「心に長く残る文章」には分かれていきます。

◆まとめ

「頭で考えた文章」とは魂の一部しか使っていない文章、「心から出た文章」とは全身全霊を使った文章です。

ただ「全身全霊を使う」といっても、決して力んで書くということではなく、それなりの儀式(たとえば朝風呂や逍遥)を通じて、インスピレーションを受けて書けば、結果としてそうなるということを申し上げたいのです。

つまり、この2つの文章の分かれ目は、自力だけでやろうとするか、自力の上に他力をも受け入れてやるかの違いです。

自我力(じがりき)と自他力(じたりき)の違いということですね。

人に読ませ、信じさせ、動かすコピーライティングを目指すなら、私は迷わず自他力のほうを選びます。

あなたはいかがですか?

コメントを残す

CAPTCHA


サブコンテンツ

このページの先頭へ